2月15日
パワハラ どこから 検索
昼休み、お弁当をつつきながらスマホ。
ため息、憂鬱、自己嫌悪。
月に一度だけ顔を合わせる上司との相性。
直属になって一年弱。面談の日が近づくたびにこうなる。わたしのストレスへの脆弱性が要因として大きいのだ。たいした問題じゃない。ただ、違和感が膨らんでいく。あの発言は、あの仕草は、あの口調は、なんだったのだろう。
半年前は怒りだった感情が落ち着きを取り戻した後で憂鬱になってそれに振り回される日々。面談の日が近い。
生活がかかっている。言い返せない。言い返すほどでもない。そもそも落ち度があるのはきっとわたし。完璧なんかじゃない。苛つかせているのかもしれない。もしそうなら自覚がないぶん厄介だ。会いたくない。面談が近づく。憂鬱だ。
性格が合わない。それだけで落ち込む自分の甘さ。どこかで笑い話にでもすれば解消しそうな些細なことが、親しい人間のいない自分にとって、重い。しかしもし親しい人物がいたとして、果たしてわたしの話を聞いてくれるのだろうか。そういった会話の経験が乏しい。ゼロというわけでもないが、少ない。自分の感情に自信を持てない。負の感情はなおさら。
憂鬱に紐づけられた記憶が芋づる式によみがえり、憎しみと失望を想起させる。
頭のなかの映像は浮かんでは消え、浮かんでは消え、そして浮かんで、浮かんで、浮かんで、浮かんで。怒鳴る男、首にかけられた手、遠くまで逃げたあの日、娯楽にされた痛み、ああ、こうして普通に暮らしてしまえばすべてなかったことになる。もしかしたらはじめからなにも無かったのかもしれない。わたしの思い過ごしか。過去か虚構か。それなら今はどうか。ああ、現実感なんてはじめからなかった。どこにいても実感がない。君にはわたしの姿が見えるのだろうか。君の記憶にわたしは存在するのだろうか。静かなる絶望。
昼やすみの終了を告げるチャイム。パソコン画面を睨むように凝視し考え込む。それは案外、気が紛れた。
2月14日
その昔、とっくの昔。好きだった相手にチョコレートをあげたことがある。
手作りのものを要求されたのでそうしたが、チョコがあまり好きでない彼はひと口齧って部屋のすみに放って、わたしはそれを少し食べて、余ったものはこの手で捨てた。そんな恋愛がわたしの慣れ親しんだもの。
それも片手の指で十分足る数しか経験はない。
自分が恋愛をするという前提で人生を送っていないせいで、この年になって困ることが増えた。
恋バナの仲間に入れてもらえることは嬉しいが、おかしな発言をしないか不安で中学生が読むようなハウツー本を読み漁ったりした。
そんなハウツーで自分の足りなさが埋まるわけもなく、現実的には無惨なものだ。
親密な人間関係というものがわからないのだ。
わたしなりに克服しようともがいてはいるが、他人から見れば失笑ものだろう。
今朝はコンビニでチョコレートを買った。ゴディバだ。ゴディバ男爵!とマスクの下で小さく呟く。ラーメンズのどのコントだっけか。
職場でパソコンに向かいながら1かけら、2かけらと口のなかに放り込む。自分で買って自分で食べる。なんと合理的で、傷つかない方法なのだ。その平和に安堵する。傷つかない恋愛などない。わかっている。だが、痛むのは怖い。二度と立てないような気がしてしまう。
だからといって誰とも関らず、生涯逃げたって逃げ切れるわけはないのだよなあ、ってわかってはいるのだけれど。あれやこれや言い訳をして今日が過ぎる。明日になっても同じだろう。だからわたしはうんざりしている。卑怯な自分にうんざりしている。
2月13日
朝、目覚めて一杯の水を飲み干す。
窓から差し込む光。気怠い身体。少しだけ参考書を開く。それから軽いストレッチ。朝食。
同じ朝を繰り返す。なんの感情もなく繰り返す。
家を出てカフェに立ち寄る。
「アイスコーヒーのショートサイズを氷抜きで店内で」熱い飲み物が苦手なわたしはいつもこれ。
注文したコーヒーを撮影して加工をしてインスタグラムの鍵アカウントに投稿する。
誰の目もないアカウントはわたしの写真の練習場。1年以上続けたおかげで少しは上達したように思う。
その日の予定を確認し、電車の時間がくるまで複写された雑誌記事を読む。国会図書館から記事を取り寄せるのがわたしの趣味のひとつなのだ。
わたしには、文章を読む習慣がなかった。
それが、ここ数年で急に読むようになった。キッカケすら覚えていないが、こうなった。
カフェの店員に手を振って退店する。そして出勤。職場へ。
夜明け前の住人だったわたしが今、朝の時間を大切にしている。夜が好きだった。今でもそうだ。けれど日々の暮らしはわたしを夜にいさせてなどくれない。残念ながら、生活しなければならない。望んだわけじゃない。
あの日、この世を去ることのできなかったわたしは、そのことばかりを悔やみながら朝のひかりの美しさを知る。
2月12日
職場では、黙々とパソコンにデータを打ち込んでいる。
健康上の問題を抱えた職員として雇われているわたしは期待される立場ではなく、実際、有期雇用の使い捨てだ。それでも上司は優しく、他の職員とも仲良くやれていて、わたしはこの職場を気に入っている。
対人関係に疲れたわたしの猜疑心は深く、人事評価でいくら褒められようとも喜びはなかった。
安堵からお礼を口にしながら頭を下げた。
きっと、疑わなくてもよかった。浮かれてもよかった。ただわたしにはそれができなかった。
楽しくてニコニコするたび周りの誰かに「調子に乗ってる」と毒を吐かれた。繰り返すうちにわたしは自分について喜ぶことをやめてしまった。
黙々と積み重ねることができるのは今のわたしの長所かもしれないが、実際のところそうしないと不安で落ち着かない。漫然と過ごすことに焦燥感をおぼえるのだ。なにかしていないと過去の亡霊がわたしを責め立てる。なにもしない時間が苦痛でしかない。
期待される立場でもなく、地位や名誉があるわけでもない。預金残高も500円を切った。
だから、失礼な言葉を投げかけられることもある。言い返せない。
自分についてなにも話さなくなった。すべて前向きな言葉に置き換え明るい人物として振る舞う。
そうしてわたしは明るく前向きな性格と評されるようになった。本来の自分、だと思っている側面を出さなければ傷つくことは減る。
誰かと関わることに疲れきったわたしの防御策であるが、そうは思われたくない人にまで影響が及んだようだ。少しだけ寂しくなって、かと言ってなにもできず小さくため息をつく。
外は散歩日和だが、わたしはまた本を読み始めた。
2月11日
体調のバランスを崩し、寝込んだ。
心当たりがあるとすれば少しばかりの環境の変化だろうか。
詳細は伏せるが社会的な結果を出した。純粋に祝福してくれる人もいるが、そうでないこともそれなりに多い。だから自分から話すことはないのだが、被害妄想だけはいくらでも捗る。
母親から、親族から、妬まれて生きてきた。
比較的街中で生を受けたことと勉強ができたことが決定打のように思う。あるいはただそこにいたからだけかもしれない。
田舎に嫁ぐことは相当のストレスであることは承知ではあるが、県内の集落に住む血の繋がらない伯母からのストレスは死にたくなるには十分だった。
わたしはの人生はそれなりに忙しなく、醜聞的な興味をそそられるものだとは思うが集落中で話題にし娯楽として消費されることを甘んじて受けるつもりはない。とはいえわかりやすく目に見える行為はない。陰湿だった。「あなたが心配なのだ」と言えばすべてが誤魔化される。だからわたしは今でも「あなたのことが心配だ」という言葉が嫌いだ。
わたしは勉強のできる子どもだった。
成績の良さでマウントを取られると反応に困ってしまうくらいにはできた。とはいえ自らすすんで勉強をしたわけではないので学歴自体はそこまで華々しくはないのだが。
小学生で進学塾に通っていた。夜10時を過ぎて家に帰ると家族は寝静まったあとで、一人分の夕食が残されていた。それをレンジで温め食べていた。この食事を母の優しさだと思っていた。
勉強の目的がわからないので家庭学習の習慣はほとんどなく、翌日のテストのための暗記をする程度。宿題すら放棄していた。それでも県内トップ集団だった。学習塾では場面緘黙でひとことも発せなかったが、成績さえよければ存在くらいは許された。
時代もあったが、学習塾に通うことは子ども同士におけるある種の裏切り行為にあたる。学校に居場所はあまりなかった。放課後すぐに学習塾に向かう。そのことについて疑問はなかったが、のちに気付いたのはわたしは親族同士のマウントの駒にされてたってこと。同い年の親戚の男の子が近所におり、わたしは彼と競わされていたようだ。
そういえば母には「あなたは〇〇学校に入学したから宝物なのよ」と言われた。
高校卒業まではそれなりにチヤホヤされたが大学を小さな国立大学に決めて以来わたしの過去一切を誰も語らなくなった。
小学5年生で一度死のうとしたが、怖くなってやめた。
そんな母の機嫌が最近よい。理由は言わずもがなだ。いつ伯母の耳に入るかわからない。被害妄想だけが捗り頭痛がする。
週末に学習の予定が詰まっているうちは余計なことを考えないで済んだ。今は時間がある。
睡眠時間が確保でき健康的になりはしたが、メンタルのバランスはあまりよろしくない。
物理的な身の置き場があればよいのだが、そんなものはない(カフェくらいか)
孤独を埋めるように本ばかりを読んでいる。
2月10日
今夜、映画を観ようと思う。
坂口安吾原作「白痴」
10年ほど昔に何度か眺めた映像、ストーリーは覚えていないがいくつかの場面が強烈に記憶に刻まれている。
ところでそもそも、わたしは映画が苦手である。
120分間じっとしているのが難しいと言えばADHDを疑われ、時に他人に断定されその他人が気持ちよくなる姿に辟易することがあるが、原因は別のところにある。
ほんの数年前までのわたしは休息を許されず過労死を覚悟した。どのような体調でも働かねば嫌味を言われ、衰弱して入院するもすぐに連れ帰られ、ついに壊れて今度は怒鳴られ、遠方の精神病院に逃げ込み、退院していびられ、それらを噂話に娯楽として消費され、そうしてわたしは人間と暇を愛せなくなった。
無論、自分に原因がなかったとは言わない。それを重々承知のうえで言わないのだ。理由は簡単。言葉にしたらそれを餌に同じような人間関係を繰り返す。そのことだけをやっと学んだ。
非を見せたら何度でも責められる。それだけのととをした。それだけだ。
あたたかい人間関係というものが未だわからない。親友と呼べる相手は数人いる。ただし全員とも、会えたとしても数年に一度。精神的に繋がれていればそれでわたしは満足なのだ。
だからわたしは休日に誰とも会わないし、LINEだってほとんどしない。LINEアプリを削除することは何度も考えたが習い事の先生と上司の連絡に使うのでアンインストールしないでいる。
誰かと親しくなれない。きっと医者に相談すればなにかしらの診断がくだるのだろうが、それはしていない。わたしとしては「やっとひとりになれた」そんな思いがある。誰かに支配されるのが怖いし誰のことも疑ってしまう。そんなふうにしか考えられない自分にうんざりもするが、「やっとひとりになれた」のだ。
生涯このままでもいいような気もする。
そんなだから、いざ誰かに近づこうとしても本当になにもできない。言葉ひとつ出てこない。
1年の目標に、1ヶ月の目標に、1週間の目標にそのことについていつも手帳に書き込むが、それだけがずっと達成できない。生涯逃げたままなのだろうか。それは死ぬとき後悔するだろう。
何度も何度も決意するのにこの足は一歩も進まない。情けなくて話題にもできない。
医者に相談してみようかな。ポーカーフェイスの主治医もさすがに笑うだろう。
最近ずっとすり減っているのは怖かったあれこれの後遺症。今夜は映画を観たいのだ。
部屋の灯りを落としてじっくり観よう。
内容はよく覚えていないけれど、銀河ちゃんという女の子がとても可愛かったこととラストシーンの炎のことはずっと忘れないでいた。
2月9日
水が好きだ。
ボトルにつめられた遠い国の水、を飲み干すことに強いロマンを感じる。行ったことにないその場所に思いを馳せる。知らない景色、知らない気候、知らない街並み、知らない言葉、そこに流れる水が目の前で光を反射している。つきつめて考えたことはないが、その煌めきを美しいと思う。
精神が摩耗したときに、水を飲み干す。
癒される、あるいは浄化される気がする。
水とか光、空気だとか、透明なものが好きなのかもしれない。
夜明け前のほんの数分
部屋の光が群青に染まる時間があるのを知っている?
それはわたしが一番好きな色。学生時代のわたしは睡眠薬を過剰に飲み干しても眠れず、その色を待って朝を迎えていた。身体が動き講義に出席できることもあったが、基本的にはそれも叶わなかった。あの頃わたしは廃人だった。
(タイムオーバー!今日はここまで!)