2月20日

今日はとある縁で塾講師の話を聞いた。

中学受験を専門にした講師の授業は圧巻のパフォーマンスで懐かしい気持ちになった。

 

学習塾は小学生の頃のわたしの存在を許してくれた唯一の場所だった。場面緘黙でひと言も発せない当時のわたしであったが、授業を聞くのは楽しかった。

 

わたしが進学したのは私立のエスカレーター式に高校に進学できる女子中学校。地元の小学校を卒業する直前に担任がかけてくれた言葉を忘れないでいる。「あなたは○○中学校で十分やっていける。先生が太鼓判をおす」こんな励ましを受けたのは生まれて初めてだった。

この頃はとっくに自殺願望に苛まれていたわたしであったが、嬉しかった。成績が良いだけで、人間性がバグった子どもへのリップサービスだったのもしれないが、わたしは嬉しかった。

ちなみにわたしは大学に進学してすぐ精神疾患を発症して潰れた。高校時代も兆候はあったが○○学校はイジメの少ない平和な雰囲気であったため、多少の歪みは個性の範疇として扱われた。

わたしは決して良い人間ではないし、当時はさらにデタラメだった。努力もしない、親切でもない、積極性もない、中学校に進学してからの成績は最悪、運動もできない、自分の考えもない、家に帰りたくなくて放課後に何時間か歩いたり、帰りの電車で涙が止まらなかったり、かといって授業中に描いていた教師の似顔絵がクラスでウケたり(その似顔絵は6つ描いたあとサイコロにした)、とにかく歪んだ生徒だった。

今では同窓会に呼ばれることもない。合わせる顔もない。住所不明者である。

しかし、SNSで偶然に知ったことがある。

当時の友人にAさんという方がいて、彼女は現在、非常に華々しい職業に就いている。Aさんが子どもにつけた名前がわたしの名によく似ていた。もちろん偶然かもしれないが、親しくしていた相手だったのでもしかするのかもしれない。

わたしにとっては光のない子ども時代であったが、彼女はなにか見出してくれたのだろうかなどと物思いに耽ったりする。

彼女は素敵な人物だ。小さな命は健やかに育っているだろう。わたしは、太鼓判を押す。