2月25日

夜になると不安材料と安心材料をドロドロに混ぜて恐怖と自己否定を作り上げる。

これからのことを考えると逃げ出したくなる。逃げ出したくなるだけだけど。

弱音を吐くのは苦手だから前向きな言葉に変換して笑う。強いねって褒められて、べつに弱くもないわたしは曖昧な表情のまま何も言えない。

暗い言葉を口にすれば返ってくるのはいつだって攻撃だった。それらを不意に思い返しては心が痛む。同じことを繰り返したくない。だからわたしは暗い言葉をつかうのをやめた。

明るい人間だと思われたら、前向きな性格だと誤解されれば、痛い思いをしないですむ。

そもそも誰かを信頼するということがわたしには難しくてできそうもない。

 

かといってわたしはべつに綺麗な人間でもなんでもない。叩けば埃なんていくらでも出てくるし、黒い気持ちにもなるし、当然、間違える。さんざん間違えてきた。今だってただしく生きているわけでもない。

それがわかっているだけに、なおさら傷ついた顔を表に出せない。悲しい顔をすれば許されるわけじゃないしな。他の人には思わないけれど。

 

ここ数年、自分なりに頑張った。成長したと思う。けれど不意に記憶がよみがえり心の痛みに呆然とする。ここは安全、今は安全と自分に言い聞かせながら心に刺さったナイフを抜く。ヘドロまみれのナイフが黒い気体になってわたしを包み込み体温を奪う。冷え切った指先を吐息で温めながら平静を装う。知られることが怖い。わたしは汚い。わたしが悪い。

 

そんな気分とは関係なしに今日を終える。眠った後に朝。これからも、日々は続いていくみたいだ。

2月21日

ついに喋れなくなった。

言葉を発するたびに相手を不快にしているような気がして怖い。他人に原因をおくのは卑怯だと思いつつ、心当たりはとある上司の否定の態度。

およそ一年間続いていて、自分なりに流してきたが駄目そうだ。今のわたしは無口で臆病だ。

上司は決して悪人ではない。むしろ豪快で気の良い素敵な女性だ。ただ合わないだけなのだ、きっと。些細なことで落ち込んでしまう神経過敏なわたしが小さな否定を膨らませ続けたのだ。誰かに愚痴って笑って終わり。それができたらよかった。今からでも遅くない。そうだ、そうすればよいのだ。わたしは会社と仲良くしたいんだ。

このままわたしが潰れるとパワハラとして問題になってしまう。それは避けたい。慕いたい。

 

明日は野暮用で半休。

人生なにがあるかわからないもので、ちょっぴりセレブな集団に紛れてくる予定。何年か前の今頃はロープを買って命を捨てる場所を探して彷徨ったんだっけ。そう思えば快進撃だ。

死ねずに責められる恋愛ばかりだった。皆が生き残ったわけじゃないし、偶然生き残った自分を幸運だとも思えないけれど、幸運だと思ってくれる誰かがいたら嬉しいな。

2月20日

今日はとある縁で塾講師の話を聞いた。

中学受験を専門にした講師の授業は圧巻のパフォーマンスで懐かしい気持ちになった。

 

学習塾は小学生の頃のわたしの存在を許してくれた唯一の場所だった。場面緘黙でひと言も発せない当時のわたしであったが、授業を聞くのは楽しかった。

 

わたしが進学したのは私立のエスカレーター式に高校に進学できる女子中学校。地元の小学校を卒業する直前に担任がかけてくれた言葉を忘れないでいる。「あなたは○○中学校で十分やっていける。先生が太鼓判をおす」こんな励ましを受けたのは生まれて初めてだった。

この頃はとっくに自殺願望に苛まれていたわたしであったが、嬉しかった。成績が良いだけで、人間性がバグった子どもへのリップサービスだったのもしれないが、わたしは嬉しかった。

ちなみにわたしは大学に進学してすぐ精神疾患を発症して潰れた。高校時代も兆候はあったが○○学校はイジメの少ない平和な雰囲気であったため、多少の歪みは個性の範疇として扱われた。

わたしは決して良い人間ではないし、当時はさらにデタラメだった。努力もしない、親切でもない、積極性もない、中学校に進学してからの成績は最悪、運動もできない、自分の考えもない、家に帰りたくなくて放課後に何時間か歩いたり、帰りの電車で涙が止まらなかったり、かといって授業中に描いていた教師の似顔絵がクラスでウケたり(その似顔絵は6つ描いたあとサイコロにした)、とにかく歪んだ生徒だった。

今では同窓会に呼ばれることもない。合わせる顔もない。住所不明者である。

しかし、SNSで偶然に知ったことがある。

当時の友人にAさんという方がいて、彼女は現在、非常に華々しい職業に就いている。Aさんが子どもにつけた名前がわたしの名によく似ていた。もちろん偶然かもしれないが、親しくしていた相手だったのでもしかするのかもしれない。

わたしにとっては光のない子ども時代であったが、彼女はなにか見出してくれたのだろうかなどと物思いに耽ったりする。

彼女は素敵な人物だ。小さな命は健やかに育っているだろう。わたしは、太鼓判を押す。

 

2月19日

部屋の灯りを落としたあとに、優しさについて考える。わたしはそれを誰かに渡すことができているだろうか。

定義が曖昧なものを、

 

今夜はダメだ。すでに睡眠薬を飲んだのだ。

この家での陰湿な扱いに耐えられず精神安定のために錠剤を飲み干す。神経がシャットダウンしていく。眠りというよりもはや気絶。

この陰湿さは証明が難しい。すべて傷付くわたしが悪い。そう仕向けられる。わたしに対する思いやりだけが恒常的に欠落していて、下の身分だ。

この家から一歩外に出たら、けっこう好かれていたりするのだけれど、困った、頭がまわらない。

 

母にとってはしたくない結婚、ほしくもない子ども、望んでいない女の子、内向的な性格で肌が白く、幼い頃は背が高かった。そんな理由でわたしは肉親から優しさを受けることなく大人になった。優しくされるとびっくりしちゃう。ありがたいよね。

2月18日

ライター志望だと言えば夢があるねと返される。

これからの生活を現実的に考えた結果に夢なんてないのだが、反応に困る。その相手はおおよそ、わたしが手に入れることのできなかった人生を歩んでいたりするものだから、胸が苦しくなる。

美容で食べていこうと考えていたが、情勢的に難しい。そのうえ身も蓋もないが、わたしはわたしの美容にすら自信がない。だから売り出せない。ただ、美容についてやってみたいことはある。知的障害をお持ちの方にも伝わるように、美容情報を書きたい。この障害をもつ友人知人が世間に流通する情報をうまく飲み込めない姿をみて悔しいと思ったから。今風にいえばユニバーサルデザインか。これなら「夢がある」と言われて感謝の言葉を返せそう。

 

そういうのとは関係なく、わたしにはひとつだけ夢がある。

それは好きな人に誕生日を祝われたいということ。もしかしたら些細な夢なのかもしれない。けれどわたしには無い経験なのだ。そもそも祝福されて生まれ育っていないわたしにとって他人が自分の誕生日を祝うという行為自体ピンとこないし、幸福な恋愛もまた、ピンとこない。

だからどう頑張ればいいのかわからないものの、夢を叶える頑張り時があるとすればそれは今で、これがラストチャンスのように思う。

結婚は望まない。現状なんのメリットもない。それどころかわたしの身内がいやな思いをさせることは避けられない。だから大切に思う相手とはなおさら結婚なんてしない。仮にあるとすれば何十年か先かなあ。夢も希望も無いかもね。

わたしにとっては好きな人に祝福されること。これが人生でみつけた夢なのだ。

 

2月17日

どうやらバランスを崩した。他人が怖くて仕方がない。わたしには一点、他者に好かれない要素がある。詳細は伏せるが、バレるのが怖い。

 

不調のキッカケは別のところにあるが、この要素がもととなった人間関係のイザコザならば原因はわたしのほうにある。長所とも捉えられる要素でも、好かれないものは好かれない。仕方ない。

 

そこから得意の自己否定がはじまった。居場所がない。そこにいる他人が怖くて震える。わたしは普段、明るく前向きなキャラクターとして振る舞っているが、今はどうしていいのかわからない。他人が怖い。怖いと言葉にするもの怖い。緊張しぱなしで今日はクタクタ。もう寝てしまおうか、明日が来るのは怖いけど。

 

似非分析家の自慰行為には反吐が出るが、それを呼び寄せているのもわたし自身。

うーん、否定的な考えばかりが浮かんで疲れる。自分を好きになれない。どこにいても居心地がよくない。こんな気分のときは無性に愛されたくなってしまうが、卑劣な感情だなとまたじぶんがいやになる。やれやれだ。

2月16日

摩耗しているのがわかる。笑うのが億劫、喋るのが面倒、生きる意欲はあまりない。

 

ある場所では皆、疲弊している。

それを持ち帰った先で陰湿な扱い。

これに揚げ足を取られ、また反発できる立場でもない。重い足取りで向かった先で孤立。

わたしの日々は脆かった。

少しの揺らぎで壊れはじめる。今回ばかりは被害妄想じゃないぞこれ。参った。疲れた。

わたしの力が及ばないところで歪みはじめた。

困った。やられた。

 

愛されてえ。不意に強く思う。

許されてえ。逃げているだけか。

眠りてえ。緊張がとれない。

 

逃げ場としての愛か。憩うためのものか。持ち続けていただけか。他の欲求が希薄なだけか。

生きたいという執着もなければその逆もない。

唯一あるとするなら、愛されたいし許されたいし安心して眠りたい。

そんなことを願いながら睡眠薬を頬張った。