夜、好きな人たちに思いを馳せる

銀のエンゼルが5枚そろったので
おもちゃのカンヅメをもらうためにハガキを出した。

長く生きればいろんなことがある。
今は40歳、余生のつもりで生きている。

今でも吉永嘉明が好きだ。
氏はかつてドラッグライターだった。
しかし氏は、友人のねこぢる、仕事仲間の青山正明
そして妻の巽早紀を自死で亡くし、
「自殺されちゃった僕」という悲鳴をそのまま文章に落とし込んだような
一冊をリリースしたあと、いくつかの仕事をして、失踪した。

わたしは今でも氏のことが気になる。
まったくの赤の他人だけれども。

とある深夜、インターネットを検索したら、
吉永さんが自伝的小説を寄稿した同人誌の存在を知り、手に入れた。
短い文章だったが、氏が生活する息づかいを感じる作品だった。

ああ、吉永さんは、あの本をリリースしたあとも、確かに生きていた。

だからわたしも、この作品のような日々を紡いでいこう。
そんな風に思った。
吉永さんは今どこにいるのだろう。
きっとこの世にいないと思っていた。
けれども、最後の作品を読んでから、吉永さんはどこかで今も生きている。
今はそう思う。
わたしだって生きてさえいれば、いつか吉永さんに出会う可能性もゼロじゃない。

ふと思い出す。2年前の夏、心から尊敬している今村核弁護士が亡くなった。
孤独死だったんじゃなかろうか。詳細は知る由もない。まったくの他人なのだ。
今村弁護士が亡くなる1か月前、思い切ってわたしはファンレターを出した。

罪を雪ぐ弁護士、「弱くさせられている人」に寄り添うまるで孤独な求道者のような今村弁護士が好きだった。
できればわたしも、そうありたかった。
彼を題材にした本を、わたしは何度も何度も読んで、すっかりボロボロになってしまった。

いつか会ってみたい人物だった。もう叶うことはないけれど。

何年か前、森田童子が死んだ。
ヒット曲の「僕たちの失敗」は誰でも一度は聴いたことがあるんじゃないかな。
今にも消えてしまいそうな童子が、今にも死んでしまいそうな歌を歌うのが、好き。
訃報を聞かなければ、永遠に生き続けた人だと思う。

森田童子が死んだ」

童子がこれまで生きてきたこと、実在する人物だったこと、
彼女に生活があったこと、そういったリアルをまざまざと感じるニュースだった。

童子が自分と同じ、生身の人間だった。
そんな事実に少なからずショックを受けてしまう、そんな不思議な人だと思う。

わたしの仕事は警備関係の事務だ。
機械警備とは、人間の代わりに防犯センサーなどが警備をするシステムで、
連続射殺魔で元死刑囚の永山則夫の逮捕に貢献し、その後大きく発展したらしい。

永山さんの犯行は許されるものではないが、
彼の生い立ちや、逮捕後の学習、小説作品、処刑されなければ偉大なる哲学者になったのでは、なんて思う。

わたしは、まあ人生いろいろあって、
罪と罰ってなんだろう?と考え続けることをライフワークにするようになった。

正直、会社勤めは大の苦手。
けれども、永山さんが歴史の頭にやってくる機械警備なら嫌いじゃない。
これも永山さんとの縁なのだ。そう思う。

吉永義明はどこかで生きているし、
今村核はもういない。
森田童子は人間だったし、
わたしは永山則夫の作品をまだまだちっとも読めていない。

平坦な人生ではなかったが、余生というのは穏やかだ。

幸い、好きな人は今も生きている。
それなのに、わたしはなにもできていない。
仕事は忙しくなった。これまでより時間を作りにくくなる。
想うだけではなにも伝わらない。

吉永義明はどこかで生きているし、
今村核はもういない。
森田童子は人間だったし、
永山則夫はもはや歴史上の人物だ。

わたしは誰にも、なにも伝えられていない。
(永山さんの支援者に「伝わっていますよ」と
お手紙いただいたことはある、けど…)

なぜか今でも生きている。
偶然生き残っただけかもしれないけれど。
あの人も死んだ、あの人も死んだ、あの人も死んだ、
そしてわたしはその方法を知ってはいるけど
同じことをしないでいる。

そこに意味はないけれど。
人生にも、日々にも、意味なんてない。
生きていても、死ぬとしても、どっちでもいい。
だから死なないでいる。

今日の続きが明日なら、
今日の続きをこなすだけ。

それでも死なないでいるなら、
今日より明日、明日より明後日、の上昇志向はかなり高い。
ダイエットだけは捗らないけど。

君は今どこにいるのだろう。知る由もない。
わたしのことを思い出すこともないだろう。わかんないけど。
確かなのは君は今のわたしを作り上げたこと。
穏やかな日々を、楽しいと思える時間を。

今日の続きが明日なら
どうか記憶を途切れないで。


思っていたより長く生きた。
君に出会う人生が、ここにあった。