5月12日

眠ることも起きることも怖くて睡眠不足が加速する。わたしはもう若くはないので見た目はどんどん年齢以上に老いていく。

これまでは成長と呼べた身体の変化はいつの間にか衰えになってしまい、最近の気持ちも重なり自信というものがどんどんどんどん無くなった。

 

苦しめるということは、それだけで十分なのではなかろうか。

誰かのことをどれだけ傷つけたとしても、その事実を認識するちからがなければ葛藤も反省も後悔もない。

 

あの人を好きだと思っても、お話ししたいなと思っても、どうしていいのかわからない

恋愛というものをしたことがない。

濁流に流されて溺れるような経験なら数回あるが、青春時代というものが欠落していて右も左もわからない。それでもわたしのなかではかなり頑張っている。他人から見ればしょうもないレベルだろう

すれ違う若者を眺めながら、虚しい

 

少し前までのわたしは、もう少し希望に満ちていた。自分のことも好きになれていた。

ただ、ささいなきっかけで、最近のわたしは生きていていいのかすらを迷っている。

 

タイマー鳴った

4月25日

日差しが強い季節になった

眩しいのがダメで、日焼けにも弱い。体力が削がれる。

お金が無いのが怖くてFP 3級の参考書を購入。敵を知るのだ…!!

 

弱い部分を知られるのは怖い

ひとりでいることは自分で選択していることだし、信頼している何人かの友達とはもう何年も会えていないし、恋人いないし、基本的にはオープンマインドのまま心は閉ざしているしで、

とにもかくにも刺激に弱いわたしにはこれくらいがちょうどよい。

仕事と医者とサロン以外、電話もしない。

寝る前はセルフケアしてる。

利害関係のない相手との会話はスタバの店員さん程度…利害関係あるか…

 

夜の静寂で、刺激と邪気を抜くの、、

今日もおつかれさまでした。

4月24日

部屋の床を無水エタノールで磨く

それはまるで心の中のなにかドロドロしたものを拭うように。

沈む、沈む、沈む、沈む、

はーーーーーしんど、最近ちょっとおかしいんじゃない、それともいつもこうだっけ

こころが傷付く、という出来事に対して傷付いたことを責められるということに慣れなくて、しんどい。何十年もその環境にいて慣れることができなかった。とか考えるのも情けない

 

母からの暴言は数あれど、性的なものについては内容がエグすぎて誰にも打ち明けられずにいる。打ち明けたいかというと、エグすぎるのでさすがにやだな。くっそうちょっと思い出しちゃったぎぼぢわるいなあもう!

この家を出るまでは母と暮らしていくわけだが、まあ、キツい

家族の話ってさ、あれこれ言いたがる野良の姑みたいなひといるじゃん?昔のわたしにも心当たりがあるから気持ちはわからんでもないから、こちらも強く反発できないんだけど…まあ、知らんがな、めっちゃ傷付くけど

 

タイマー鳴ったのでここまで

 

4月23日

仕事を終え、電車に乗る。

金曜の夜は夜更かしができるから好きだ。とはいえ土曜日だって用事はあるし、なんだかとても疲れたなあ。

労働環境はとても良いのだけれど、息苦しさはある。単純作業、苦手な話題、…う〜ん、これ以上は文字にするのも罪悪感

人間関係は難しい

 

呼吸を整え頭の中をクリアにする

この春から瞑想に課金し始めたの。脳の使い方は大事だよ。脳だってセルフケアしていこうよ。その方がずっと思考できる

植物を置くとその空間が浄化されるらしい

ゆあ、エポケー、とそれぞれ名付けたふたつの樹木

光合成、葉脈、クロロフィル、アデノシン三リン酸……はああああ……うっとり…

 

これまで乗り越えてきた恐怖より、

今、歩き出せないことが悲しくて、そして大切なのだろう。考え方は絶望経由の希望行き

 

(10分タイマーで推敲していない日記)

 

4月22日

同じような日々を繰り返して、頭がおかしくなりそうだ。有期雇用とはいえ自分に向かない仕事に就いた。業務はそつなくこなせてる。仕事が憂鬱だと声に出しても誰ひとり信じないくらいに。

 

笑っていると、痛みなどなかったことにされてしまう。苦しい過去も癒えない傷もどうせその程度なのだと、そんな扱いだ。

それはわたし自身の成長でもあるのだから悪いことではないのだけどね。

ただ、ぼんやりと思考しながらなんとなく孤独だなあと思うこともある。そんな気持ちすら否定されるのならくだらない話で笑っている方がずっといい。

 

不意に他人の感情のゴミ箱にされて疲れ切ってしまうこともあるし、けれどまたか〜と聞き流せるようにもなってきた。

精神的には成長していて身体的にも健やかだ。

やるべきことはやっているのだから、今のわたしはとても自由。なにをしてもいいし、誰を好きでいてもいい。だから一歩進もうと、歩き出そうと、今日こそは、と何度も何度も決意する。その度に怖くなって足がすくんで踵を返して逃げてしまう。情けない。

他人のことは変えられないのだから、その他人が誰を見ているかなんてわからないし、明日には変わっているかもしれない。

やっと自由になれたのに、そこに飛び込めない自分の臆病さに嫌気がさす。

唯識のはなし

唯識という仏教一領域にハマった。
理由は難解そうだから。
本屋で出会った唯識入門という本が入門を謳いながらさっぱり理解できなかったからノートを取りながら時間をかけて読んでみた。
難しい本を読んでいる間は雑念が消えるのだ。

唯識はその教義を提導する学派の名前を瑜伽行唯識学派と呼び、ヨガ(瑜伽/ゆが)の実践のなかで悟りの境地を目指し心の作用だけは仮に存在すると考える。
個人にとってのあらゆる存在は心の作用による表象に過ぎず、その作用は8種類の識に分類される。
八種類の識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の前五識(平たく言うと五感)と、意識、そして末那識(まなしき)と阿頼耶識(あらやしき)という2層の無意識を指す。
深層心理である末那識と阿頼耶識、簡単に説明するならば前者は自我への執着で後者は自己存在の確信といったところか。
前五識は簡単に途絶える(目を閉じる、耳を塞ぐ、深く眠る、等)が阿頼耶識という永遠の過去から続く潜在意識はそれまでの全ての感覚の記憶を保有し、
現在の生が尽きても輪廻転生により全ての記憶を持ったまままた未来の生が始まるのだ。
なお末那識も途切れることなく続いており、この自我執着を手放すことにより悟りの境地に近づくことができる。

唯識の考え方は大乗仏教(生きとし生けるものすべてを救う⇔小乗仏教/修行した者が救われる)だが、
大乗仏教のなかでは唯一救済されない者の存在がある。我々衆生が仏になることができる理由、原因を仏性(ぶっしょう)と呼ぶのだが
あまりに仏の教えに耳を貸さない者は悟ることができない。
つまり地位や権力、財産のみに価値を置く者は救済されることはない。
わたしはこれについて、内省の必要性を説くものだと考えていて、唯識のもっとも気に入っている部分でもある。

仏教では、執着を手放してこころを楽にしていく。
すべてはぼんやりと繋がっていて、強い苦しみも深い悲しみもただそこにあるだけで実体は無く流動的に移り変わっていく。
ヨガの重要な要素である呼吸を意識し、感情も目の前の景色もただ自分が認識しているだけだと知る。
そのようにしてこころの緊張を解いていく。
この考え方をわたしは気に入っている。

んーーーー!!
アウトプットって難しいな!!勉強ノートを見返してみたけどほっとんど覚えてないし!!
唯識」って字面、かわいいよね!!

さて、週末だからゆっくり寝る。

もっとこう、出力していかないともったいない!!
というわけで唯識についてはまた書きたいと思う。

 

おやすみなさい

10月10日(日)身辺雑記

インプットに対してアウトプットがあまりに足りない気がしたのでブログをはじめることにした。楽しく書けるうちは続けたいと思う。

こんばんは、みおです。

日付けが変わる少し前、テーマを決めないままこれを書いています。

週末あたりに記事を書けたらと考えています。

わたしはこの春、世界で一番優しい職場に就職しました。雇用期間は最長3年。その後のことはまたの機会に。今は週5で電車に揺られて事務職です。有給の残りがピンチで肝が冷える。今年の冬は風邪ひけない。差し当たった悩みが有給がピンチだとかわたしの人生もずいぶんと穏やかになったものです。

 

国会図書館に論文の複写をお願いして、届いたものをホチキスでまとめる。その日の気分で論文を選んで鞄に入れておく。信号待ちや電車の中でそれを読む。書籍と違いかさばらなく情報が端的なところが気に入っている。

今日も遠隔複写の申し込みをした。わたしの今の楽しみのひとつである。

 

明日は特に予定もないので身体を休める。風邪など引くわけにはいかないのだ。