2月10日

今夜、映画を観ようと思う。

坂口安吾原作「白痴」

10年ほど昔に何度か眺めた映像、ストーリーは覚えていないがいくつかの場面が強烈に記憶に刻まれている。

ところでそもそも、わたしは映画が苦手である。

120分間じっとしているのが難しいと言えばADHDを疑われ、時に他人に断定されその他人が気持ちよくなる姿に辟易することがあるが、原因は別のところにある。

ほんの数年前までのわたしは休息を許されず過労死を覚悟した。どのような体調でも働かねば嫌味を言われ、衰弱して入院するもすぐに連れ帰られ、ついに壊れて今度は怒鳴られ、遠方の精神病院に逃げ込み、退院していびられ、それらを噂話に娯楽として消費され、そうしてわたしは人間と暇を愛せなくなった。

無論、自分に原因がなかったとは言わない。それを重々承知のうえで言わないのだ。理由は簡単。言葉にしたらそれを餌に同じような人間関係を繰り返す。そのことだけをやっと学んだ。

非を見せたら何度でも責められる。それだけのととをした。それだけだ。

 

あたたかい人間関係というものが未だわからない。親友と呼べる相手は数人いる。ただし全員とも、会えたとしても数年に一度。精神的に繋がれていればそれでわたしは満足なのだ。

だからわたしは休日に誰とも会わないし、LINEだってほとんどしない。LINEアプリを削除することは何度も考えたが習い事の先生と上司の連絡に使うのでアンインストールしないでいる。

 

誰かと親しくなれない。きっと医者に相談すればなにかしらの診断がくだるのだろうが、それはしていない。わたしとしては「やっとひとりになれた」そんな思いがある。誰かに支配されるのが怖いし誰のことも疑ってしまう。そんなふうにしか考えられない自分にうんざりもするが、「やっとひとりになれた」のだ。

生涯このままでもいいような気もする。

そんなだから、いざ誰かに近づこうとしても本当になにもできない。言葉ひとつ出てこない。

1年の目標に、1ヶ月の目標に、1週間の目標にそのことについていつも手帳に書き込むが、それだけがずっと達成できない。生涯逃げたままなのだろうか。それは死ぬとき後悔するだろう。

何度も何度も決意するのにこの足は一歩も進まない。情けなくて話題にもできない。

医者に相談してみようかな。ポーカーフェイスの主治医もさすがに笑うだろう。

 

最近ずっとすり減っているのは怖かったあれこれの後遺症。今夜は映画を観たいのだ。

部屋の灯りを落としてじっくり観よう。

内容はよく覚えていないけれど、銀河ちゃんという女の子がとても可愛かったこととラストシーンの炎のことはずっと忘れないでいた。